男鹿市議会 2008-03-04 03月04日-02号 十三湊跡は、安倍頼時の孫氏季が十三湊に居城を築き、その後、前九年の役で討ち死にした安倍貞任の第二子高星丸がおじの則任を頼り、1090年、藤崎城を築き、安東を名乗り、これが津軽安東の起こりと言われています。則任の第四子氏孝に後継ぎがなく、1107年、奥州藤原氏三代秀衡の第二子秀栄を養子に迎えて、福島城主となります。西側は十三湖に面し、安東水軍の軍船が常時70槽が駐留。